平成26年10月28日・29日の両日に「干支九星・華の会」の生徒達と26名で行く。
澄み切った秋空のこの日、早朝の新幹線で京都へ着き、京都から観光バスで奈良へ向かう。
バスの車窓から時より見られる紅葉が秋空に映えて美しい。

今回の参拝旅行に大分県、滋賀県、静岡県から生徒も参加していただき、始めて顔を合わせる人たちも居
るので、バスの中で私が皆さん一人ひとりを紹介するところから始まった。
その後、今日参拝する箸墓古墳・大神(おおみわ)神社・橿原(かしはら)神宮の創建から御祭神、由緒
などを事前に勉強してきたSさんが説明してくれる。

最初の参拝地は箸墓古墳である。
第七代孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲媛命(やまとととびももそひめのみこと)の墓と伝わっている。
のどかな田園地帯に存在して、表通りから畦道を100m程歩くと遥拝所に辿り着く。
遥拝所には宮内庁の表記で「大市墓」とあり、コンクリートの鳥居と柵のみで、その奥は樹々が生い茂る
だけの質素な佇まいであった。古墳全体が見えないことは先刻承知だが、イマイチ実感が湧かない。
横道を登ってみれば古墳を取り巻く濠になっており、森林に覆われた古墳の一部を観させていただいた。
日本最古の前方後円墳と謂われているが、間近で見ると全体像が分らない。あらゆる角度から歩いて観れ
ばその偉大さも実感できようが、それは叶わぬことである。
文献に依れば全長278m、高さ30mの巨大さで、古墳時代前期に「昼は人が造り、夜は神が造った」と『日
本書記』にはある。
航空写真で全体像を見て知っているから良いが、古墳は観るより学ぶことに如かず。
今回は古墳の所在地と箸墓古墳の「気」に触れ、古代の人たちに想いを寄せての参拝であった。

昼食は古墳の近くに在る、奇麗で上品なお店で美味しい三輪そうめんを頂く。葛餅がとても美味しかった。

次の参拝地、大神神社へと向かう。
日本最古の神社の一つに数えられる大神神社は本殿が無く、拝殿の奥の三輪山を御神体とする。
私は3回目の参拝になるが、生徒さんたちの参拝希望が多かった神社でもある。
大きな二ノ鳥居をくぐり、砂利道の長い参道を歩きながら神気を感ずる。
参道左側に「祓戸神社」があり、そこで生徒さん達と「ひふみ祝詞」を唱える。

大神神社では初めての正式参拝をする。
拝殿に上がり、静まりかえった中で神職のお祓いを受ける。代表で玉串を奉げたが、風神のいたずらか、
奉げた玉串が風で案上から落ちてしまうハプニングにみまわれる。
その後、神職の案内で念願の「三ツ鳥居」を見させて戴く。初めてこの眼で観る三ツ鳥居を脳裏に刻む。
控え室に戻り神職さんから良い話を伺えたが、話が長くなりこちらは時間が気懸りであった。
その後、神職さんの案内で「山の辺の道」を少し歩くと在る摂社の狭井神社へ向かう。
ここは大神神社の主祭神・大物主大神の荒魂を祀っているが、万病に効くとされる薬井戸からの神水がある。
生徒さん達が知り合いに差し上げるのか、御神水を買い求めていた。
更に境内地の丘に上がり、はるか遠くに見える天香具山、畝傍山、耳成山の大和三山を見ることができた。
橿原市の市街も視野に入り、まさに昔さながらの国見である。この展望は初めてであり素晴らしかった。

この大神神社境内、及びその周辺には行くべき神社、古墳が在り一日掛けないと廻りきれない。次回は山
の辺の道をゆっくり歩き、檜原神社と再度三輪山に登拝したい。

次に一日目最後の神社、橿原神宮へと向かう。
初代神武天皇を御祭神として祀る神社で有名だが、ここも生徒さんの強い希望があった。私は2回目の参拝
になるが、好きな神社のひとつでもある。
広々とした境内には参拝者が少なく気の乱れを感じない。木製の大きな明神鳥居、広い参道、そして拝殿が
大きく参拝していても伸び伸びとした心境になる。
今回は橿原市のボランティアガイドを頼んで案内していただく。

その後、境内から10分程歩いて神武天皇陵に行く。
私も含めて生徒さん達も初めて参拝する処である。広々とした敷地の御陵で、辺りの静けさも手伝って厳粛
な気持ちで頭を下げさせていただく。
時より皇室の方々が、ご挨拶の為に参拝されることは報道などで知っているが、やはりその重みを実感する。
東京の多摩御陵、武蔵野陵と同じような厳粛さがある。
今を生きる日本人として、一度は行っておきたい処である。

翌日は早めにホテルを出発する。
朝9時から宮司さん、神職さんと一緒に朝拝の祝詞を上げられる機会に参加するため春日大社へ向かう。
道路が混んでいたので少し遅れて参加する。既に朝拝は始まっていたが、大祓祝詞を唱和する。
その後、宮司さんたちと境内のお社を参拝に廻る。
さらにその後、禰宜さんに本殿特別参拝として境内の見所を案内していただく。

春日大社は格式ある有名な神社だが、しかし境内は神仏習合の名残が多い。参拝する人々が多いのも重なっ
て、昨日の神社と違い、失礼ながら清々しさも神々しさも感じられないのは私ひとりだけだろうか。

最後の参拝に石上(いそのかみ)神宮へとバスは走る。
私の好きな神社のひとつだが、あまりこの神社は知られていないので参拝者はごく少数であった。
後で神職さんが冗談めかして言っていたことだが、参拝者よりか境内に放し飼いになっている鶏の方が多い。

ここの御神体は神剣「韴霊(ふつのみたま)」を祀り、主祭神は「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」
と「布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)」、「布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)」であるよう
に、他の神社の御祭神と違い剣に宿られる霊威を御祭神としている。
また国宝である「七支刀(しちしとう・ななつさやのたち)」が神倉に収蔵されていることも有名である。

拝殿で正式参拝をしたが、その際、神職の祝詞「布留の言」が耳に強く残る。
「ひふみよいむなやここのたり ふるべ ゆらゆらとふるべ」

神職の案内で境内を見させて戴いたが、なかでも出雲建雄神社拝殿である「割拝殿」と呼ばれる珍しい建物
に目を奪われる。一枚写真を撮らせていただいたが、そこには神気がみなぎっていた。
また、拝殿は平安時代の第72代白河天皇が、宮中の神嘉殿を寄進されたと伺う。さらに楼門の重厚さにも目
を奪われる。

神職の案内がてら交わす会話の中で、今でもこの石上神宮では「ひふみ祝詞」を唱えていると聞く。
そこで私達は拝殿前で、神職が側で聞いてくださるなかで「ひふみ祝詞」を声高らかに唱える。
「ひふみ祝詞」を唱える神社は全国でも極僅かと思うが、格式有る石上神宮で唱えることができた喜びは、
大きなものである。
伯家神道の流れを汲むとされる「ひふみ祝詞」を唱える所は、いまでは宮中と石上神宮ともう一つの神社と
教わっている。

師であった望月治先生の教えを、一つひとつ裏づけを取る行動に出ている感がしてならない。
教わってきたことの正しさ、言われてきたことの正しさを証明される時であった。
                                           (哲生記)



大神神社

集合写真

橿原神宮
 

箸墓古墳

大和三山

橿原神宮鳥居
 

神武天皇陵

石上神宮

割拝殿